2 「BIが実現すると人々は働かなくなる」の人類史的意味


 BIが実現すると人々は働かなくなる」と考えもあります。その考えの人類史的意味を考えてみましょう。

  

まず言えることは、BIが実現しても全ての人が働かなくなるということはならないだろうということです。

 

やりがいや生きがいや意義を感じている仕事、好きな仕事、楽しい仕事、向いている仕事をしている人達は、BIがあろうとなかろうと、仕事をし続けるでしょう。AIやロボットによって、お金をもらえるという意味の仕事を奪われ、お金をもらえなくなっても、探求しながら、楽しみながら、しんどいことがあっても乗り越えながら、やりがいや生きがいや意義を感じていること、好きなこと、向いていること、楽しいことをやり続けるでしょう。

  

そういう仕事でない、やりがいも生きがいも意義も感じないし好きでも楽しくもないし向いてもないけれど、でも生きるため、食うために、仕事をしていた人達は十分な額のBIが実現すれば、もうそういう仕事はせずに済むようになるでしょう。

  

それで企業(典型的には人間を低賃金で消耗品として働かせていたブラック企業)が一時的に危機に陥るとしても、BIの実現によって景気が回復すれば売り上げや利益も伸びるはずで、AIロボットテクノロジーの果実を導入してコストを下げ、給料や待遇を改善することによって、危機を乗り越えることは十分可能なのではないでしょうか。

  

忘れてはいけないのは、AIやロボットが人間から仕事を奪う流れの中で、BIが必要不可欠になるだろうということです。

  

どのみち、企業はコスト削減・利潤最大化・生き残りのために争い合いながらどんどん人間をAIやロボットに替えていくでしょう。だからこそ、人々の生存権や幸福追求権を保障するため、また消費の縮小によって経済全体が破綻して企業も破綻するような事態を避けるため、BIが必要不可欠になる流れの中に私たちは既に生きているのです。

  

AIやロボットに仕事を奪われるのではなく、AIやロボットに経済を支えるという意味の仕事は任せて、人間はみなお金に縛られることなく、やりがいや生きがいや意義を感じること、好きなこと、楽しいこと、向いていることをお金になろうとなるまいとすることができる、そういう世界がAIやロボットとBIによってもたらされることになる」というのが、「BIが実現すると人々は働かなくなる」の人類史的な意味であり、

  

その意味で、

  

AI(人工知能 Artistic Inteligence)+BI(ベーシックインカム Basic Income)CI(創造的革新 Creative Innovation

  

だと私は思います。

  

ところで、よろしかったら、ちょっとあなたの回りを見渡してみて下さい。私もそうして見ます。

 

今私は家の中にいて、部屋着を着ながら日本語でBIに関するこの文章を打っており、文章を打っているノートパソコンが目の前にあります。

  

スマホの時計によれば、今は201931日午前948分。エアコンで暖房をつけ、石油ファンヒーターも室内にあります。

  

本棚もあって、いろいろな本が収まっており、本の中にはいろいろな思想や学問や理論や哲学や方法論やビジネスモデルやハウツーやデザインや詩や数式や見聞、見識、知識などを表した文章が言葉で書かれており、写真や図版もあります。

  

プリンターもそばにあり、インクのカートリッジとA4の用紙がセットしてあります。

 

つけっぱなしのテレビもあって、再放送の医療ドラマが流れています。

  

テレビもノートパソコンもプリンターも石油ファンヒーターのファンもみな電気で動いており、石油ファンヒーターは灯油を燃やしています。

  

目の前にはテーブルがあり、その上にはユニバーサルスタジオで買ったハリーポッターのマグカップがあり、中には砂糖入りのローズヒップハイビスカスティーとティースプーンが入っています。

  

壁には古い友人が描いた、額縁入りの抽象絵画が掛かっており、手に取れる場所にはCDラックやアコースティックギターやバッグがあります。

  

何を長々と書いているんだとお思いかもしれません。しかし、考えてみてください。今記した全てのものは有形のものも無形のものも全てみな、誰かによって創り出されたもので、誰かによって創り出されなかったら、存在しなかったものばかりなのです。

 

現在世界に存在する無数の、人間によって創り出された有形無形のものたち。たいした時間もエネルギーもかけることなく、容易にそれらのうちの何かを創り出すことのできた者はいるでしょうか。答えはノーでしょう。

  

彼らは相応の、人によっては全人生を賭ける位の、相当量の時間とエネルギーを費やして創り出したはずです。しかも、やりがいや生きがいや意義を感じるから、好きだから、楽しいから、向いているから相当の時間とエネルギーを費やすことができたに違いがありません。

  

このように考える時、次の二つが言えるでしょう。

  

BIによって全ての人間が、意に沿わない、食うための仕事、生きるための仕事から解放されれば、みんなが時間やエネルギーを他人に搾り取られることなく、好きなことをしながら生きていけるようになるでしょう。その好きなことは、いわゆる趣味の域のことかもしれませんが、それだってよくて、とにかく全ての人間が自分にとってやりがいや生きがいや意義を感じること、好きなこと、楽しいこと、向いていることを好きなだけ必要なだけしながら自分らしい幸せな人生を送ることができるようになるでしょう。

 

その中で人類全体と人類社会が本当の意味で成長することが可能になるでしょう。

  

「遊びをせんとや生まれけむ(人は遊びをするために生まれてきたのだろうか?)」という問いかけの答えが人類全体においてイエスになる時代が到来する。これは人類全体にとって素晴らしく幸せなことではないでしょうか。

  

②そして、そのように、自分にとってやりがいや生きがいや意義を感じること、好きなこと、楽しいこと、向いていることを生きている間ずっとやり続けることの中から、更に様々な、人類全体にとって価値ある有形無形のものが創り出されるようになるでしょう。

  

AIロボットを創り出した人達もまたそうのようにしてそれらを創り出したはずです。

  

BIによって人類全員が、自分にとってやりがいや生きがいや意義を感じること、好きなこと、楽しいこと、向いていることを生きている間ずっとやり続けることが可能になったら、たった一人の人間から、人類全体にとって共有しうる、価値ある有形無形のものが生み出されるチャンスは飛躍的に増大するでしょう。

 

その意味では、人類社会がそれを通じて人類を更に一層創造的な方向へと育むのがBIであり、BIは無条件の返済不要の人類全体への奨学金でもあると言えるでしょう。

 

以上、①②で述べたように、BIは人類全体にとって、人類全体を本当の意味で豊かに幸せにしうる、素晴らしいものではないでしょうか。

 

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